The Chiropractor 試訳
カイロプラクティックの創始者DDパーマーの著書に、The Chiropractorがあります。これはグリーンブックに含まれていないために知る人ぞ知る…だったと聞いたことがありますが、最近は、復刻版がたくさん出ていて、逆に入手しやすい本になっています。多くのグリーンブックは、まだアマゾンの電子版では買えないので、金額は高いし、入手先も限られてしまいますよね。
The Chiropractorは、1914年発行です。
第1章 カイロプラクターの道徳的、宗教的責務
第2章 カイロプラクティックの科学、芸術、哲学に関して
第3章 神経振動
…そそられませんか(笑)?
全13章の大作です。
第1,2章は特に有名で、引用も多くされているようです。もっともアンチ・カイロ派が「非科学的だー」と叫ぶために一生懸命引用してたりして、「アメリカンは古典から学ばないのー?」と思ったりします。日本人は中医学などでも古典から学ぶことに熱心な人が多いので、カイロに関しても温故知新で古典への向き合っていけるのでは、、と思っています。
アメリカの著作権は70年だから、これは翻訳フリー。
訳してみたいなー、でもたいへんだし。。。
というところで、1章のほんの一部を以下に訳してみました。
出典:
The Chiropractor
1.The Moral and Religious Duty of a Chiropractor
第1章 カイロプラクターの道徳的、宗教的責務 から一部翻訳
カイロプラクティックとは、生命科学という生物学の連続した感覚印象を分類・索引付けした知識のことで、椎骨と同じくらい長く存在してきた原理から私が作り出した科学のことである。科学は知るということの知識である。
科学的宗教は、意識的思考によって立証できる事実についての体系的な知識を包含する。知識は信仰や信条よりも優れている。
信仰は、ある個人的行為に対する内向きの感情であり、信頼に値すると信じるので、信仰をもつ。信仰は信条と信頼の融合である。
信仰は知的過程であり、個人の観察や経験以外の理由で真実とみなされるものを受け入れることでる。信仰とは、人への信頼を意味する。私たちは、誰も暗示も思考もしないという命題を信じるかもしれない。
知識は知るということであり、私たちは個人的な証拠から知ることができる。あなたにとって証拠となりうるものは、私にとっての証拠ではないかもしれない。今日我々が証拠として受け入れているものは、明日も同じように我々に訴えることはできない。
私たちの信条、信仰、知識は教育に依存する。我々の教育は我々の環境に依存する。
アートは何かに関係する。カイロプラクティック・アートは変位した椎骨を調整する天賦の才にあり、そのアートの創案者は私である。
カイロプラクティック哲学は、科学と芸術の原理の理解によって説明されるような生命現象の知識である。
カイロプラクティックの科学、芸術、哲学に関する私の研究で、私は生命の法則と病気の本質について、詳しく説明してきた。
カイロプラクティックの実践には、道徳的義務と宗教的義務が含まれる。これらの責任を理解するためには、カイロプラクターがカイロプラクティック科学を理解し、定義できることが絶対に必要である。
そのために、基礎を築く基本原理やその科学的構造を形成する構成部分だけでなく、脊椎調整の科学と芸術の哲学も知っていなければならない。これらすべての重要かつ必須のアイデアを吸収し、消化し、それらを自分自身の存在の一部とするためには、『Chiropractor’s Adjuster』(1910年発行)の綿密な研究が必要である。
難解ですよねー。DDパーマーのスピリットにお近づきになる気持ちが必要かも。
原文はこちら↓
Chiropractic is the name of a classified, indexed, knowledge of successive sense impressions of biology—the science of life—which science I created out of principles which have existed as long as the vertebrata.
Science is the knowledge of knowing. Scientific religion embraces a systematic knowledge of facts which can be verified by conscious cerebration. Knowledge is superior to faith and belief. Faith is an inward aceptance of some personal act; we believe that it is trustworthy, therefore, we have faith. Faith is a union of belief and trust. Belief is an intellectual process, the acceptance of some thing as true on other grounds than personal observation and experience. Faith implies a trust in a person. We may believe in a proposition in which no person is implied or thought of. Knowledge is knowing, we know from personal evidence. That which may be evidence to you may not be to me. That which we may accept as evidence today may not appeal to us as such tomorrow. Our belief, faith and knowledge depend upon our education. Our education depends upon our environments. Art relates to something to be done. Chiropractic art consists in the aptitude of adjusting displaced vertebrae, of which art I am the originator.
Chiropractic philosophy is the knowledge of the phenomena of life, as explained by the understanding of the principles, of the science and art. In my work on the Science, Art and Philosophy of Chiropractic I have given an extensive explanation of the laws of life and the nature of disease. The practice of chiropractic includes a moral obligation and a religious duty. To comprehend these responsibilities it is absolutely necessary that the chiropractor should be able to understand and define chiropractic science. He must know not only the basic principle upon which it is founded and the constitutional parts which form its scientific structure, but, also, the philosophy of the science and art of vertebral adjusting. To absorb and digest these all important and essential ideas and make them a part of one’s very being, requires a close study of The Chiropractor’s Adjuster.
今後、全部はムリでも一部翻訳してみようかな。。。と模索中です。
ご意見あればぜひお知らせください。